こころざし

日々のつぶやきをしるしたブログです

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すっかり料理写真からも遠ざかっていたわけですが、

先日、大量に枝豆やらトマトやらナスやらキュウリやら頂いたので、

お野菜祭りを開催しました。ドメスティックな。

枝豆と甘〜い人参のてんぷら。

このほかに、枝豆ポタージュも作りました。


都内でも農業を体験出来る区画があって、

友人のお父さんがそこを借りて、

定年後の楽しみとして作物を植えています。

枝豆って、本当にやめられなくなる。おいしい。

今日は、枝豆が成長して乾燥すると大豆になって、

なおかつ枝豆の芽がもやしだ、

という話を聞いて驚きました。

本当でしょうか?グーグル先生!

本当らしい。。。
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絵を描いたり、写真を撮ったり、歌を歌ったり、

そういう芸術とよばれる行為って

「俺の叫びを聞け」的要素が多いと思う。

その「叫び」がうまいこと、

ほかの人と「ガチコーン」と絡み合った時、

叫ぶほうも受け取るほうも

至福の時なんじゃないかな。


甲本ヒロトさんが、

ロックンロールというものを感じた時は、

ビートルズを聴いた時だったそうだ。

そして、

それと同じ感じを、

ゴッホの絵を見ても感じたという。


そういうの、ちょっといいな。

とエエトシコイテ思っている。

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絵を描きたいなあ、と思いつつ、

なかなか描けずに時はすぎる。

たまに書くとしても、鉛筆デッサンばかり。

鉛筆デッサンでもいい。

書き続ければいい。


そんなことを思っていたら、

横尾忠則氏が

「絵に上手下手はない。描くか描かないかだけだ」

というようなことをおっしゃっていて、

うーん。そうだよね。と思った。

「構想」がどんなに頭の中にあっても、

描かれた一枚には負けてしまうのではないだろうか?

構想の方がすごい場合もあるけど、

「描いてみてダメだった」という事実がわかるだけすごい。

「くちばっかり」は最悪だ。

はてさてどうなることやら。

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このところ、川上弘美作品にハマっている。

でも、この前に読んだ
『古道具 中野商店』とも、
『これでよろしくて?』とも、
違う雰囲気が『真鶴』には流れていた。

夫と会うために、引き寄せられるように、
なんども真鶴に通う主人公・京。

真鶴を旅する京に「ついてくる」もの。

読者にも、読んでいると、なにかが「ついてくる」感じ。
物語のもつ温度のようなもの。
読了してもしばらくは余韻が残った。

一般的な「オカルト」と一線を画すところは、
京の生活がとても日常的な部分もあるということ。

日常生活、
すべてのものに日が当たっているところで、
今日の献立について考えたりすること。

と相対するものとして、

真鶴での体験

礼(失踪した夫)
ついてくるもの

の2つからなっていて、
京はそのふたつを行ったり来たりしている。

ネタバレになるが、
日常生活にもどる京に、安心した。

オカルトだったら、あからさまに「霊が」「神が」とか、公言して、
そのものを生活の中心に置きたがる。

でも、気配とか、におい、味、音、偶然性、あらゆるものに
「なにか得体の知れない」ところはあるもので、
それをあからさまに公言したり中心に置いたりするのは
人間として無粋だと思う。

なんとなくいい空気。
なんとなく気分がいい。
なんとなく気配がする。

そういう模糊としたもので、私たちの生活はできている。

それをあえて宗教とか神とか霊とか、
名付ける必要はないんだよな、
と思った。

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またしても富士フィルムギャラリー。

鬼海弘雄さんの「インディア」という展示を見に行ってまいりました。

トークショウも拝聴いたしました。

トークショーでは、
寝っ転がっている人を撮った写真について、
自分がそこで寝ていてもおかしくない、
自分もその場に馴染んでいた、
というようなことをおっしゃられました。

「ちょっとインドを旅行して撮る」だけじゃ
とてもできない撮り方、
故郷にいるように、
なぜか落ち着く場所としてのインド。


フォトジェニックなものを撮る、だと、記録になってしまう。
見ている人に想像させる、表現の一種としての写真。

インドという場所のもつ力をたっぷり含み、
おのおのの存在の瞬間を切り取った写真たちでした。

個人的には、なんか神話について描いた絵画みたいと思いました。
インドという国が神々しいベールに包まれているのかな、と。


蒸し暑くぬめっと漂う空気。
ねっとりした生命力、空気にたゆたうもの、みなぎるもの。

異国であって異国でない、お腹の底に通じるもの。
そういうものが写真に現れていたのでしょうか。


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