こころざし

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上海から来た女


「上海から来た女」という映画を見た。

第二次世界大戦直後の1947年の作品。

ヒロインのリタ・ヘイワースが、
シミひとつ、クマひとつないパーフェクトな描かれ方をしている。

主演・監督のオーソン・ウェルズが、
腕っ節のいい船乗りでありながら小説家を目指しているという、
どこか影のある存在で
弁護士夫婦と関わりを持ってストーリーは進んでいく。

そのなかで、
足が不自由な弁護士が、
超美人妻(リタ・ヘイワース)に
逃げられないように探偵を雇ったりする。

疑わずにはいられないし、
疑われることで妻は、
自分を信じていない夫が嫌になる部分もあり、
浮気をする。

ルサンチマン(自己欺瞞を含む嫉妬や羨望)というらしいのだが、
障害を弁護士という地位とカネでごまかしたことで、
不具(障害)と真正面から向かい合えないのでは、という話になった。


話は飛ぶが、現在に置いて。
重度の障害を持ちながら精神的には健康に生きている人の代表として、
乙武洋匡という人がいるとしよう。
(本当は内包する問題があるのかもしれないけど)

彼は、ちゃんとうらやましがるし、
ちゃんと怒る。
ちゃんと意見し、
ちゃんと助けを求める。
自分が助けられる人は助ける。
楽しい時はちゃんと楽しむ。

そして妻にも子宝にも恵まれて、
ある種、健常者よりも精神的健康を得ているかに見える。

障害の程度というのは、ひとそれぞれだ。
アレルギーや近眼、肥満、身長の高低は障害とは言わないが、
何かにコンプレックスを持っていない人なんて、
居ないのではないだろうか。

「障害」という言葉でひとくくりに出来ない何かが、
誰にでも存在するのではないだろうか。

障害を持つ子の母親がこう言った。
「老人になれば誰でも障がい者になるのよ。海外ではそういう考え方」。

むしろ突然死する人のほうが少なくて、
一般的には老化して身体が衰えたり、痴呆が進んだりして、それから亡くなる。

誰しも障がい者にはなりうるし、
誰にでもコンプレックスは存在する。

しかし、あからさまな障害があると、
「障害を乗り越えなければ」という焦りのようなものが生じたり、
うまく乗り越えられない自分を嫌悪したりする。

そして、別のところでそれを補おうとするのだ。

冒頭の映画で言うところの、障害を持った弁護士は、
障害を持っていなければ弁護士になっていないのではないだろうか?

弁護士になることは素晴らしいことだし、
社会貢献もでき、経済的にも余裕ができる。

しかし問題は、彼は「自分を欺いている」のである。

障害を持ってもそれを打ち消した自分に酔いしれている。
それが人生に歪みを生じさせる。

その証拠として、妻に逃げられるのでは?という疑念を払拭できない。

障害やコンプレックスを素直に受け入れ、
きちんと向かい合う。
羨ましいことは羨ましいと言い、
悔しい時は悔しいと言う。

障害やコンプレックスと
戦うべき時は戦う。
負けるしかないときは時は負ける。
そして助けを求める。


コンプレックスをなくす、というより、
コンプレックスを引き受けて、処理する。
うまい具合に付き合っていく。

そういうことなのかな。

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