こころざし

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Evernote Camera Roll 20140126 194138


動物愛護団体の、「殺処分ゼロを目指す」というスローガンを、
妙によく聞くようになった。
個人的には、どうもしっくりこない。

だってその「かわいそう」を連呼して、
せっせとリツイートやシェアをしている人たちは、
犬や猫よりもずっと大きい「殺された」牛や豚を毎日のように食べているのである。

その残りのくず肉が、愛玩犬のペットフードになっている。

別に肉を食べるなとは言わない。
でも、「かわいそう」という言葉に甘さを感じるのだ。

「かわいそう」を連呼する人たちは、その動物がいかにひどい扱いを受けてきたかに怒り、怪我や精神状態を知り、元の飼い主を非難する。

愛玩犬として、家族として迎えた以上、最後まで責任をもつのは当然である。
そして、ペットとして飼われてきた犬は、もう野良では生きられない。
それを助ける意味で、愛護団体の存在は大きいし、運営者は立派だと思う。

しかし、「かわいそう」という人たちは、そのイヌネコの可愛らしさを訴える前に、自分がどれだけの牛や豚や鶏を食べてきたのか、それらが食肉となるまでにどのような屠殺があったのか、知ろうともしないのは無責任であると思う。

「屠殺」というダークな問題をひたかくしにしてきた世の中に問題があるのかもしれない。
たしかに、子どもに屠殺の細部を教えることはショックを与えることになるだろう。

私も肉を食べる。魚も、野菜も。ありがたくいただく。
だからこそ、多摩川に悠々と浮かぶ鴨だって、カワイイと思うと同時に美味しそうと思う。

食物連鎖の頂点を担う人間として、私は、地球に食糧危機が訪れたら、愛玩動物が食料となるのも仕方ないと思う。

よくわからないという人には、
金原瑞人訳「豚の死なない日」という本を読んで欲しい。

私は、生きるために殺して食べる、という根源を忘れた、
哀れな平和ボケ人間にはなりたくないのだ。


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