こころざし

日々のつぶやきをしるしたブログです

もう、ずいぶん長い間、ここに文章を記すことをしなかった。

おもしろいこと、あっただろうか。

おもしろいことを書こうと思って、これを始めたわけじゃない。

書くことで、救われる。書くことによる、私の文章表現療法。

回線の向こうにいる誰かに向けて発信し続けた。


誰かに分かってもらいたかったのかもしれない。


わかって!わかって!と叫んでみても、むなしかった。

分かることもあるけど、完全に分かり合える人間なんていない。

ひとは、結局は孤独なものだと思った。


でも、分かることはできなくても、

可能な限り寄り添っていくことはできるよ。

聞いてあげることはできるよ。


配偶者に、そう言われているようで、天にも昇る気持ちになれた。

このブログは、不幸自慢から、一気に幸せ自慢に転換したんだ。



久しぶりに、小説のことを思った。

私の、内在する陰鬱な思いと、陰鬱な過去。

それを、一人で切り開いていこうと、一生懸命だった私を描いていた。

その小説は、こんな風に終っている。


「新宿の狭い空を、何度見上げたかわからない。
 発作が起きるたびにね。私の病気は、一生つきあって行くたぐいの病気だよ。
 発作が起きて、それでもあのアパートに、必死で帰って、それでも、頭をなでてくれるひとはいなくて。
 それでも、一人で生きて行くって決めたから、一人で生きるって決めたから、私はこんな健気に、毎日を生きてる。
 大切にしてくれる誰かに、支えてもらいたいと思うけど、一人で生きてく道が開けてこそ、その人は見つかる気がする。
 だからあくまでその人は、私の人生のおまけであって、見つかればラッキーなのであり、オプションにすぎないのです」


 言い終えると、すっきりとした。
 もう、大丈夫。

 目をつむって深呼吸した。
 私の生きている空間。
 私の生きて行く空間。
 新宿という汚い街の汚い空気。
 それを目一杯吸い込んだ。

 誰かが頭をなでた。
 目を開けば、それが彼だと分かっただろうけど、目を閉じたままでいた。

 頭をなでたのは、お母さんかもしれないし、いつか出会える私の大切な人なのかもしれない。
 


この小説を書いていた時、私は、とにかく、一生懸命だった。
どうにかして道を切り開こうと、あがいて、模索していた。

この小説に決着をつけたころ、私は配偶者と18年ぶりに再会した。

そして今、状況は大きく変わったように見えるだろう。

今だって発作が起こることはあるし、薬だって飲んでいる。
しょうもない被害妄想に悩まされることもある。

でも、私の隣りには、寄り添う人がいる。

誰かに気持ちを聞いてもらいたくていてもたってもいられないとき、聞いてくれる人がいる。

人生の勝ち組、とかいう言葉は嫌いだけど、

自分で自分に納得がいっている、という意味では、
納得がいっていない人に比べれば、勝っていると思う。

どん底に思えた不幸は、その不幸があったからこそ、世間一般の、当たり前の幸せを、世界で一番幸せであるように思わせてくれた。

今、私は、私に関わった人たちに、ありがとうの気持ちでいっぱい。

うざったいくらいにね。

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