こころざし

日々のつぶやきをしるしたブログです

窓際の植物

植物が好きです。

でも育てるのは超ド下手。

いつも枯らしている。

仕事が忙しいときは放置しすぎて枯らしていたし、
仕事がほとんどない今は、かまいすぎて枯らしている。

田舎へのあこがれもあるので、
いつか農業でもしたいなどという甘えた妄想もあるのですが、
多分無理。
だって広島生まれ東京育ち、
悪そうなヤツとはだいたい友達…ではないけど。

映画「おくりびと」で、山崎努が演じる社長の家が、
植物満タンで、とても羨ましく感じました。

あの映画は、中途半端なコメディ感はついて行けませんが、
あのシーンだけ好き。

いまのところは、「適度な距離感」を持って植物に接するべきかしら。

おくりびと

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ヘルシーひとり


ここ3年ほどのこのブログ記事を見ると、
11月頃の投稿がとても多い。

これは、私の体調が往々にして季節とか天候に左右され、
秋から冬にかけて、ぼんやりと眠いながらも気分はよく、
何かしなければ、なんかしたいな、という欲が高まって、
非常に良い兆候ではある。
面白いかどうかは別として。

9月に夫がアメリカ旅行に行ってしまったときは、
けっこうどんよりしていた。

だいたい、日本の、しかも東京の夏というのは、なんであんなに息苦しいんだ!
いつも外に出る気が失せて、室内にこもり、クーラー病気味にもなるし、冷たい水を飲み過ぎてお腹も壊すし、ほんっとに、夏って嫌いになってしまった。
昔はプールで泳いだり、海に行ったり、
アロハにビーサンでふらりと外に出て一杯飲む、
みたいな島人的楽しみがあったものだが、
現住所はオソロシイ程キタナイ川が流れているだけで、
あんまり外に出たいというふうにはならない。

そういう夏嫌いな時期が過ぎて、
ちょっと暖房が活躍しだすと、
ぼんやり眠くなって、非常に調子が良い。
緊迫した仕事をしていたら、ぼんやり眠いのは問題だろうけど、
そんな仕事はしていないし。
編み物などの手芸に対する欲求や、
インテリアを何とかしたい、とか、
凝った料理を作ってみたい、という欲が生まれる。

まあ、そんな感じで、今日はサラダとジャーマンポテト。
サニーレタスと、晒した玉ねぎスライス、千切りの人参、
細かく割いたササミの酒蒸しを、ゴマドレで和える。
ほうれんそうとベーコンと、
ちょっとチンしたじゃがいもをオリーブオイルで炒める。
塩コショウとバジル。
炭水化物を排除してみる。

6km程ウォーキングもして、エクササイズもしたので、
ヘルシー志向にしてみる。

夫が3泊4日出張なので、
完全に自分のための料理。

一人なら一人で、それを楽しめるこの時期。気分いいなあ。

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未確認飛行物体


今日は天気が良かった。
秋晴れ。

こんな日は、土手へウォーキング。
その後はシャワーを浴びてお昼寝。

こんな生活許されるのか!?
というのんびりとした一日。

仕事のないグラフィックデザイナーなんて。
配偶者に食べさせてもらっているようなものである。

そんな配偶者は逆に忙しく出張。

夕暮れが綺麗。

ふと見ると、富士山上空に、彗星のようなモノ。
飛行機なんだろうけど、それにしてはゆっくりな気がするし、
飛行機雲ってもっとながいよね…

と調べてみると、夕暮れ時はそういうふうに見えちゃうんだって。

もちろん、私はフライト時間を確認していないから、
「未確認」飛行物体(UFO)ということに、
なってしまうんだろうねえ。

世の中そんなもんである。

たとえ、それが、UFOだったとして、

「で?」

って話で。

連れ去られるとかいうわけじゃなくて。


むしろこんな、
疫病は流行るし火山は噴火するし、
地震も津波もあるし、
核是認だし、
政治家の不正容認だし…
っていう世の中から連れていってもらいたいぐらいのもんである。

そんなふうに小さくつぶやいている私は、

やっぱり空から見たらミジンコよりも小さい存在で。

つまりは、私がハッピーならオッケーなわけで。

今日は過ぎていく。

世の中そんなもんである。

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ライター

〇〇系、〇〇型、〇〇な人…

とかく人々はカテゴリ分けが好きだ。
書店の自己啓発・ビジネス書のコーナーなど見ていると特にそう思う。

カテゴリに自分を分けて置くことで、安心したいんだろう。
このカテゴリにいられれば大丈夫、といったように。

私だって、それを便宜上使うときもある。
私って、メンヘラペシミストだからさ〜といったように。

かと思えば、うまくカテゴリ分けされない自分が現れると、
「世界に一つだけの花」などと言ってみて、
自分の望んだ匿名性をあきらめ、
「個性」を伸ばす方向へ向かう。
しかしそんな急づくりな個性なんて現れやしない。

学校教育は「個性」を重視しすぎている、という文章をまま見かける。

たしかに、私も、個性を強要されたような気になって、
「これもあれも人の真似じゃないか。
私のオリジナリティはどこ?」
と悩んだ時期もあった。

本当は、個性なんてどうでもいいし、
ルイヴィトンを持って休日はパンケーキを食べるために2時間並んだって、
別にどうでもいいことなのだ。

全ては、「お月さまぐらい離れて」考えれば、
塵にもならないことなのだから。

政治的な右と左の二元論に関しても、
単なるカテゴリ分けに過ぎない。

もっと遠くから見てもいい気がする。

保守を求めるあまり、異質な人に対して攻撃的になったり、
平和を求めるあまり結局暴力的になったり。

そうなってしまえば、「暴力的」という意味では区別がつかないのだ。

大きな空気を読みなさい、という言葉は、そういうことかもしれないな。


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Evernote Camera Roll 20141027 102142



高校生の頃だろうか。
美大受験予備校に通っていて、何となく彼の存在を知り、「吾輩は施主である」という半フィクションの小説というかエッセイのようなものを読んだ時、彼のモノの感じ方、穏やかに進む文章の流れ、かといって新しいものを作り出せる創造性に大変惹かれた。

それから、「父が消えた」という芥川受賞作も読んでみると、ものすごく面白い。というか、私の心に触れる作品だった。

折しも私は中央線沿線に住んでいた。
主人公の彼はいつもは三鷹あたりから東京方面の電車に乗っているのに、いつもと反対側の電車で八王子方面に行き、彼の父の墓所を見学に行く。
その、「いつもと反対側の電車に乗ると、風景がめくれていくみたいでわくわくする」という表現に、純粋に共感できた。
実際、中央線に住んでいる人というのは、友達が住んでいるとか、イベントがあるとか、奥多摩にレジャーに行くとか、そういう特別なことがない限り、自分が住んでいる駅より西にはほとんど行かないのである。
それでセコセコと日々新宿・東京方面に通う。

美術と文章の融合というもの。それを彼から学んだ面は多い。きちんと学べているかは別として。
春頃には資生堂のギャラリーで彼の膨大な「中古カメラデッサン」群を見て、感動した。

今現在、町田市で赤瀬川原平×尾辻克彦の展示をしていて、行かなければ思っていた矢先の訃報だった。
最近は作品を作っていないようだったし、文章もとくに書いていなかったのではないかな?
そういう意味で、彼の言葉を借りると、「すこうしずつ死んでいた」ということなのかもしれない。失礼な表現かもしれないけど。
入退院はしていたようだし、かなり覚悟あっての「生前葬」のような展示だったんじゃないか?

今、「父が消えた」を読み返してみて、じんわりと彼の死を受け入れる。
お目にかかったこともないけれど、とてもあこがれの存在だった。穏やかな雰囲気。アバンギャルドアートにもかかわらず、なにか落ち着いているような、不思議な作品たちだった。美術にしても、文章にしても。

本当に、お疲れさまでした。


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ryunosuke1.jpg


お坊さん、または、お坊さんのような人、が好きです。

実際にお坊さんに惚れたこともあった。
お坊さんといっても、普段はサラリーマンで、
お盆の時だけ実家に帰って檀家さん宅をまわる、という人だったけど。

少し聞いたおはなしでは、やはり資格を取るための修行が、
半端ではないらしく、
それがあってこその
「悟り系男子」なわけです。

同級生がお寺にお嫁にいっているけど、
彼女の現旦那さんが修行時は、
遠距離恋愛していたらしいのですが、
電話で、
「今日は歯医者に行く用事があったから、
帰りにペプシが飲めたよ!」
といったように、
修行中の彼にとっては、
ペプシですら歓びの種になっていたとか。

僧職系男子ともいうそうですね。

私は以前、体力的にも精神的にも、
大型ファッションビルの販売員であることが辛くなったとき、
この写真の小池龍之介さんというお坊さんの存在を知り、
彼の「家出空間」というサイトに辿り着き、
人生相談のようなページに投稿したところ、
きちんと解答をアップしてくださいました。

私は、「なにかクリエイティブなことをしたい!」と思っているのですが、
文章も美術も中途半端で、なかなか形になりません。
このままアルバイトを続けるべきなのか、
クリエイティブでなくてもきちんとした職につくべきなのか悩んでいます。

というような相談をしたところ、

本当にやりたいことがあって、その衝動に駆られれば、
正社員として他の仕事についていたとしても、
寸暇を惜しんで創作に没頭できるでしょう。
そのようにして成功した作家さんはたくさんいますよ。

というような回答をくださいました。

まあ、あんまり仏教は関係なく、普通の人生相談なのですが、
けっこうこの解答は心に響きましたね。

「私、ホントはクリエイティブな人だから。
こんな仕事やってる人じゃないから」
と、何も作り出していないくせに、
仕事に対しても中途半端な態度でいた自分。

それを見ぬかれたような気がしました。

あれから7年ぐらい経つけれど、
まだおんなじような悩みをかかえている。

配偶者に甘えている自分がいる。
病気を言い訳にしている自分がいる。
「なんとなく、クリエイティブ」に甘んじている自分がいる。

最近、現代語訳「般若心経」(玄侑宗久)を読んでいて、
いろいろ感じ入るところがある。

日本人は、宗教心がめちゃくちゃになっているけど、
世の中自体がめちゃくちゃになっている今、
ちょっと仏教でも勉強しようかしら。と思っている。

あんまり難しく考えずにね。

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★★★



この間の日曜日も映画の授業でした。
今回は教室の小さめのテレビでDVDを見たので、
あんまり映像美とかは感じられなかった。

エリック・ロメールの「美しき結婚」。

なんだか見ていると、そんなに重い映画じゃないのかな?
って感じで、漫画で言うところの「ハッピーマニア」みたいなストーリー。
不倫にも嫌気がさして、「結婚する!」と相手も決まっていないのに、
宣言する主人公サヴィーヌ。

弁護士のいとこをサヴィーヌに紹介する友人。
この友人クラリスは、医者と結婚しつつ、アート作品を作り続けていて、
サヴィーヌはそれを羨ましいと思っている。
「子どもでもいいから、何かをクリエイトしないと!」と息巻いて、
この弁護士にサヴィーヌはモーレツアタック!
パリ↔ルマンの列車の描写がやたら出てきたりはしますが、
基本的に台詞が多く、室内のシーンも多いので、映像としては地味め。

前回のように映画館で見たわけではないので、
そんなに細かい描写に気を配ることができず、
なんか、よくある話だよね。みたいな軽い見方をしてしまった。

しかし先生のお話では、
サヴィーヌの暴力的なまでの結婚願望は、
イスラム国のようなもの。イデオロギーを掲げて革命を起こそうとしている。とのこと。

細かい描写にも意味を見つけ、議論していきました。

サヴィーヌの家庭が、フランスの中では中間層の階級に位置し、
上流階級とのお付き合いを憧れている面もある。

一度見ただけではそんなふうには思えなかったのですが、

「黒澤明の『生きる』」みたいな、
生きがいを求めるような映画だったようです。

映画のはじめと終わりに、80年代を感じるテクノがかかっており、
なんか合わないなあ、と思いました。
そういう時代性を音楽で表現したのでしょうか。


しかし、イデオロギーを掲げて革命を起こそうとしたところで、
それは頭の中での革命。
所詮は他人と共有できるものではないのです。

そういった風に詳細を解説されると、
「わたしは、こころざしを、さがしていた」
という、このブログにも通じるストーリーだったかもなあ、
と言う思いが募り、再見したくなりました。

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週一回、フランス映画を皆で見て、それについて議論する、
という授業のようなものに通い始めました。

初回は
フィリップ・ギャレルの「ギターはもう聞こえない」。

授業のあるフランス系の学校の中に、映画館もあり、
そこで見ました。

第一回のお試しの大事な授業だった割に、
先生の評価は低かった。

私は、逆光で撮影される人物、奥に広がる窓と海の、
映像美が良かったと思います。

ストーリーとしては、
5分後には、他の女を抱きたいと思い、
5分後には、子どもが可愛くて仕方ないと思い、
またその5分後には、麻薬に手を染めようとしている。

まあ、人生って、そういう曖昧なものだよね〜

という感じで描かれていたように思います。

先生がおっしゃるには、
「その様々な出来事と心模様の反復にも、芯のようなもの、
経験の蓄積があるはず」というようなことでした。
それがあんまりうまく描けていないのかな?
ちょっと意味不明な点は多々ありました。

ニコという、ヴェルベットアンダーグラウンドの
アイコン的存在をテーマにして描いており、極めて私的なもの。

私小説もそうですが、私的な芸術作品て好みが分かれますよね。
私はキライじゃないけど。

この授業、先生のサービス精神なのか、議論がなかなか収束せず、
結果3時間以上喋ったりするのです。
2時間の映画を見たあとなので、集中力を使い果たしてへろへろです。

でも、終わって帰りの電車で、
ああ、ああいう言葉はステキだな、とか、
ああいう考え方もあるよね、といった、
心に響く言葉を得られた喜びがあったりして、受講を決めました。

とても細かい点(例えば、風の音が妙に大きく演出されているとか)に
目を向けて議論するので、
物事を深く考える練習になるし、
人に自分の思ったことを伝える練習にもなるかな、と思いました。




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ダリア単焦点


これから起こることが、

不安に思えつつも、

楽しみでワクワクしてもいる。

自分にこんな大輪を咲かせることができるだろうか?

その疑問を突き詰めても仕方なくて、

やってみないと。

Just do it!!

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ビル夕焼け


「赤ちゃんを待っています」

「お宅も子供を作られたらいいんじゃないですか?」

「早くお父さんをおじいちゃんにしてあげなさい」

「ウチは孫がいないから」

という言葉が多々ある中で、

「変な子供が生まれるから絶対に作っちゃいけんよ」

「妊娠可能な期間のうちに薬をやめることはできない」

「あなたの体調が一番大切」

こういった言葉たちにも、挟まれる5年間だった。

子供のいない叔母は、
「子供作れ作れ言う人が、いざというときに責任とってくれるわけじゃないからね」

という、当たり前のようで納得の言葉もくれた。


夫と幼なじみで、私とも同級生(男子)に、待望の子供が生まれたらしい。
私より少し早く結婚しているので、
本当に待望だったんだと思っている。


色々なことがあって、情緒不安定だったこともある。

そのSNSの投稿を見て、
涙が止まらなかった。

よかったね、と思う気持ちと、
切なさ。歯がゆさ。

不妊治療している人は、もっと違う感情かもしれない。

私達は、不妊治療よりも手前。

覚悟がない。
サポート体制がない。
体調が万全でない。

自分ができそこないみたいに思える部分もあるし、
かと言って育てる自信は本当にないな、
と最近思っている。

私の友達もどんどんママになっていくけど、
今回は、夫の幼なじみということもあってか、
夫に申し訳ない気持ちになった。

赤ちゃんのベッドは今月も流れてさようなら。
下腹部を雑巾絞りされてるみたいな鈍痛。
こんな痛み。邪魔なだけなのにな。

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月末、28日は誕生日でした。

でも、夫婦でプレゼントしあうことがないので、

特に誰からも何ももらわず。。。

それで、写真家さんに、
「誕生日忘れてたでしょ」という、
電話をしたら、
こんなものを持ってきてくれました。

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ダリア。
蕾がまだたくさんある。

IMG_8592.jpg

この他にも、写真家さんお手作りのお皿とか、
アンティークのそばちょこなどをいただきました。

しかし、ダリアって、どう育てればいいんだ?

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