こころざし

日々のつぶやきをしるしたブログです

百円の恋 という映画に、やられた。

男もなし、仕事もせず、ニートのダメな三十路女が、あるとき恋とボクシングに目覚める話。


主人公「一子」役の安藤サクラ。すばらしい。

身のこなしはとてもスマートとは言えず、もっさりと行動の鈍かった一子が、ボクシングを始め、軽快なステップを踏んでいる姿がなんとも頼もしい。サクセスストーリーによくあるワクワク感、それがとてもナチュラルで、ボクシング始める前のダメさからのギャップが素晴らしい。

ダメな女のダメっぷりが、もんのすごくリアリティある。
動きの鈍さ、姿勢の悪さ、気の使えなさ。
化粧品がなくて試供品使ってたり(ありがち)。

とくにグッときたところは、(ネタバレ?)性描写というか、性的なひどい目に合うわけだけど、それがなんかものすごく腹がたつ具合にリアルなんだ。この野郎、って拳を握りしめて、相手の男にどつきたくなる女の気持ちがどろどろに表現されていて。性的なことが絡むと、他人に相談できなかったり、自分のせいだ、とか思っちゃって永遠にひとりで自分を責めちゃう。悪いのは圧倒的に相手なのに。「自分は可愛くないからそんなこと信じてもらえないかも」とか思ってますます孤立したり。そのぐぐぐと悔しい気持ちをボクシングにぶつける主人公に激しく共感した。
(私は性的な被害にあったことはない。でもブスでも痴漢ぐらいは被害にあいます)



私個人としては、主人公、一子の髪型、パーマと脱色してるけど伸びてきちゃって小汚い感じ、あれが自分の「汚ギャル」と言われた頃にそっくりな気がして。
まあ、身内に「汚ギャル」と言われたわけだけど、あの頃の私は、本当に最低だったと思う。金なし、男なし、学校もやめた。パン屋でバイトして。今より10kg以上太っていた。よく考えたらあのパン屋、途中から商品全部百円均一になったな。

一子は百円均一の店に勤めるわけだけど、地方都市の百円均一の従業員のレベルとか、すんごいうなずける感じで。私はそのパン屋のバイトでは、パートのおばちゃんに面接されて採用されたし。しかもそのおばちゃんがやめたいために募集かけたっていうテキトーな人事。金持って盗む奴が入ってこない可能性もないわけではない。もちろん店にもよるが。そのなんかもったりした低所得者層を取り巻く空気みたいなものが、見事に表現されていた。ホームレスについ優しくしちゃう人もでてくる空気。すれすれなのだよ。

そして、自分に百円の価値しかなくても、いや、ないからこそ、努力するべき部分、伸びしろが他人より残ってるんだよな、とか当たり前のことを思い返しました。
久々に映画で喝を入れられました。

プライムTVスティックでなんとなく見た。今更だけど、いい映画を見られてよかった。

テーマソングの「百八円の恋」も最高です。


ランキングに参加しています。
↓クリックにご協力ください↓

にほんブログ村 写真ブログ 女性カメラマンへ
にほんブログ村
IMG_0685150522花


今日は知り合いの方が

イチジクのジャムを届けてくださった。

アイスコーヒーをお出しして、

ドライマンゴーを差し上げた。


「SRサイタマノラッパー」という映画がいいよね、

という話になった。

日本語ラップと日本人ラッパーの「イタさ」がたまらんねん。

それを突き詰めて考えると、

日本語ラップの始祖は吉幾三らしい。

「テレビもねぇ ラジオもねぇ 電車もそれほど走ってねぇ…」

うん。たしかにラップだ。

かっこ悪いのを承知で前面に出してる感じ。

ある意味かっこいい。


広島生まれセレブもどき育ち、悪そうなヤツと目を合わさない…

そんな生活もうやめ〜

ランキングに参加しています。
↓クリックにご協力ください↓

にほんブログ村 写真ブログ 女性カメラマンへ
にほんブログ村
上海から来た女


「上海から来た女」という映画を見た。

第二次世界大戦直後の1947年の作品。

ヒロインのリタ・ヘイワースが、
シミひとつ、クマひとつないパーフェクトな描かれ方をしている。

主演・監督のオーソン・ウェルズが、
腕っ節のいい船乗りでありながら小説家を目指しているという、
どこか影のある存在で
弁護士夫婦と関わりを持ってストーリーは進んでいく。

そのなかで、
足が不自由な弁護士が、
超美人妻(リタ・ヘイワース)に
逃げられないように探偵を雇ったりする。

疑わずにはいられないし、
疑われることで妻は、
自分を信じていない夫が嫌になる部分もあり、
浮気をする。

ルサンチマン(自己欺瞞を含む嫉妬や羨望)というらしいのだが、
障害を弁護士という地位とカネでごまかしたことで、
不具(障害)と真正面から向かい合えないのでは、という話になった。


話は飛ぶが、現在に置いて。
重度の障害を持ちながら精神的には健康に生きている人の代表として、
乙武洋匡という人がいるとしよう。
(本当は内包する問題があるのかもしれないけど)

彼は、ちゃんとうらやましがるし、
ちゃんと怒る。
ちゃんと意見し、
ちゃんと助けを求める。
自分が助けられる人は助ける。
楽しい時はちゃんと楽しむ。

そして妻にも子宝にも恵まれて、
ある種、健常者よりも精神的健康を得ているかに見える。

障害の程度というのは、ひとそれぞれだ。
アレルギーや近眼、肥満、身長の高低は障害とは言わないが、
何かにコンプレックスを持っていない人なんて、
居ないのではないだろうか。

「障害」という言葉でひとくくりに出来ない何かが、
誰にでも存在するのではないだろうか。

障害を持つ子の母親がこう言った。
「老人になれば誰でも障がい者になるのよ。海外ではそういう考え方」。

むしろ突然死する人のほうが少なくて、
一般的には老化して身体が衰えたり、痴呆が進んだりして、それから亡くなる。

誰しも障がい者にはなりうるし、
誰にでもコンプレックスは存在する。

しかし、あからさまな障害があると、
「障害を乗り越えなければ」という焦りのようなものが生じたり、
うまく乗り越えられない自分を嫌悪したりする。

そして、別のところでそれを補おうとするのだ。

冒頭の映画で言うところの、障害を持った弁護士は、
障害を持っていなければ弁護士になっていないのではないだろうか?

弁護士になることは素晴らしいことだし、
社会貢献もでき、経済的にも余裕ができる。

しかし問題は、彼は「自分を欺いている」のである。

障害を持ってもそれを打ち消した自分に酔いしれている。
それが人生に歪みを生じさせる。

その証拠として、妻に逃げられるのでは?という疑念を払拭できない。

障害やコンプレックスを素直に受け入れ、
きちんと向かい合う。
羨ましいことは羨ましいと言い、
悔しい時は悔しいと言う。

障害やコンプレックスと
戦うべき時は戦う。
負けるしかないときは時は負ける。
そして助けを求める。


コンプレックスをなくす、というより、
コンプレックスを引き受けて、処理する。
うまい具合に付き合っていく。

そういうことなのかな。

ランキングに参加しています。
↓クリックにご協力ください↓

にほんブログ村 写真ブログ 女性カメラマンへ
にほんブログ村
窓際の植物

植物が好きです。

でも育てるのは超ド下手。

いつも枯らしている。

仕事が忙しいときは放置しすぎて枯らしていたし、
仕事がほとんどない今は、かまいすぎて枯らしている。

田舎へのあこがれもあるので、
いつか農業でもしたいなどという甘えた妄想もあるのですが、
多分無理。
だって広島生まれ東京育ち、
悪そうなヤツとはだいたい友達…ではないけど。

映画「おくりびと」で、山崎努が演じる社長の家が、
植物満タンで、とても羨ましく感じました。

あの映画は、中途半端なコメディ感はついて行けませんが、
あのシーンだけ好き。

いまのところは、「適度な距離感」を持って植物に接するべきかしら。

おくりびと

ランキングに参加しています。
↓クリックにご協力ください↓

にほんブログ村 写真ブログ 女性カメラマンへ
にほんブログ村
★★★



この間の日曜日も映画の授業でした。
今回は教室の小さめのテレビでDVDを見たので、
あんまり映像美とかは感じられなかった。

エリック・ロメールの「美しき結婚」。

なんだか見ていると、そんなに重い映画じゃないのかな?
って感じで、漫画で言うところの「ハッピーマニア」みたいなストーリー。
不倫にも嫌気がさして、「結婚する!」と相手も決まっていないのに、
宣言する主人公サヴィーヌ。

弁護士のいとこをサヴィーヌに紹介する友人。
この友人クラリスは、医者と結婚しつつ、アート作品を作り続けていて、
サヴィーヌはそれを羨ましいと思っている。
「子どもでもいいから、何かをクリエイトしないと!」と息巻いて、
この弁護士にサヴィーヌはモーレツアタック!
パリ↔ルマンの列車の描写がやたら出てきたりはしますが、
基本的に台詞が多く、室内のシーンも多いので、映像としては地味め。

前回のように映画館で見たわけではないので、
そんなに細かい描写に気を配ることができず、
なんか、よくある話だよね。みたいな軽い見方をしてしまった。

しかし先生のお話では、
サヴィーヌの暴力的なまでの結婚願望は、
イスラム国のようなもの。イデオロギーを掲げて革命を起こそうとしている。とのこと。

細かい描写にも意味を見つけ、議論していきました。

サヴィーヌの家庭が、フランスの中では中間層の階級に位置し、
上流階級とのお付き合いを憧れている面もある。

一度見ただけではそんなふうには思えなかったのですが、

「黒澤明の『生きる』」みたいな、
生きがいを求めるような映画だったようです。

映画のはじめと終わりに、80年代を感じるテクノがかかっており、
なんか合わないなあ、と思いました。
そういう時代性を音楽で表現したのでしょうか。


しかし、イデオロギーを掲げて革命を起こそうとしたところで、
それは頭の中での革命。
所詮は他人と共有できるものではないのです。

そういった風に詳細を解説されると、
「わたしは、こころざしを、さがしていた」
という、このブログにも通じるストーリーだったかもなあ、
と言う思いが募り、再見したくなりました。

ランキングに参加しています。
↓クリックにご協力ください↓

にほんブログ村 写真ブログ 女性カメラマンへ
にほんブログ村